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結婚

成田離婚?

ジキルとハイド?

一生この人と?
































































   私の離婚物語り

  結婚


当時同じ職場で知り合った人と、3年半くらい付き合って結婚しました。
バブル全盛期で本当に忙しい毎日でした。
家に帰るのは、毎日日付が変わってから。泣いたり笑ったり発狂したり
それでもとっても楽しい職場でした。
営業マンの彼のアシスタントをしていたので、忙しくて忙しくても
朝から晩まで彼と関っていられたので、何気に充実した毎日でした。喧嘩もよくしましたけど。

25歳の誕生日に軽井沢で結婚式を挙げ、オーストラリアに新婚旅行。
毎朝駅まで車で彼を送って、掃除洗濯お買い物に食事の支度。
結婚までは実家暮らしだったけど、その分自分の城的感じでプチ楽しい日々でした。
会社の友達や後輩が遊びに来たり、姉夫婦とスキーに行ったり
ちょっと休みがあると、旅行によく出かけました。
多忙で多趣味な彼は、平日週末問わずによく居ないこともありましたが
私は全く気にならず、わ〜い実家に帰って泊まって来れる!とwelcomでした。

田舎出身の彼でしたが、三男だったため田舎に帰ることは無く
私の実家の側にマンションを購入しました。
堅実と言うのか、気が小さいというのか不動産を買うのは彼は反対でしたが
私は話をどんどん進め、契約してしまいました。
不動産購入となると、契約の場には大人の人ばっかりで
私が一人で行くと「ご主人は?」とみんなビックリです。
そうですよね〜、25才の女の子がたった一人で来たんですから。
後で不動産屋サンに「奥様一人で頑張りましたよ〜。本当に」って嫌味言われてました(笑)
あんなに反対していたマンションも、自分の城になるや否や嬉しくて仕方ない様で
「あの時私がどんどん進めていなかったら、未だに買えていなかった」と言っていました。

体調が悪かったり、婦人科系の病気が分かったのもこの頃で
専業主婦だったために、セッセと病院に通うことも出来辛いホルモン治療も出来ました。

でもでも、結婚準備中に感じていた些細なズレが、日々何かしら起こり
だんだん私達に溝を作っていったのかもしれません。


  成田離婚?

軽井沢での式を終え、車で成田に向かいました。
なんだか家族と離れるのがとっても寂しい気がしました。
うるさい親と離れるのが嬉しいと思っていたのに、実際は全然違う気持ちでした。
なので、成田に行く途中もなんだか沈んでいました。
姉夫婦が見送りに来てくれて、余計に寂しさが増しました。
でも今まで忙しくて家族と旅行に行ったこともほとんど無いので
専業主婦になったら、母と姉と3人で国内外に行ったりできるなぁと思い
ふと彼にそんな話をしました。驚くような返事が返ってきました。
「俺が一緒じゃない旅行は、生涯行けると思うな。それに俺の親が生きている限り
まとまった休みは、全部実家に帰るから週末旅行以外旅行に行けると思うな。
海外旅行だって、これが最後のようなもんだ」
唖然としました。私がどんなに海外旅行が好きか知っていて、独身時代は
「コレお餞別」みたいに、お小遣いまでくれたこともあったのに=3
もうビックリしましたよ。気が強く、跳ねっ返りの私でさえ、言い返すことが出来ない
強く、信念の入った言葉でした。
家族と離れて寂しい事もあり「やっぱり結婚するの辞めたい、ここで実家に帰ってしまおうか」と
よもや成田離婚になり兼ねないところでした。
この時、第一回目の「いつか離婚してやる」という思いが芽生えた様に思います。


  ジキルとハイド?

彼は対外的には、温厚でとても良い人でした。
怒ったところはあまり見た事も無くいわゆるお人よし。
当時私は狂犬、とにかく傲慢で会社で1番仕事が出来る!と思って、大威張りでしたから
彼のお人よしのところに、イラつくこともしばしば。。。
結婚してからも、普段は特に穏やかでした。

私がいなくても、美味しい蕎麦屋を見つけたと言っては両親を食べに連れていってくれたり
帝釈天(寅さんで有名な)に連れて行ってくれたり、美味しいものをお土産に買ってきてくれたり

とにかく色々なことを私の両親にはしてくれました。
その事には、今でも感謝はしています。
私は離れていることもあって、な〜んにもしませんでしたし。

そんな反面、自分が嫌なことに対しては絶対に妥協することなく我慢も一切しませんでした。
私の家は、昔同居していた事もあって、親戚同士の交流がすごくあるんです。
でも、親戚付き合いを一切拒まれ立場が無かった事もありました。
姉の主人も仲良しだった私の従姉妹家族との交流を嫌がり、
従姉妹の家で、従姉妹会みたいな事をやっている最中に突然帰ってしまうこともあり
皆はしらけるし怒るし、恥ずかしい思いを何度もした事がありました。
この人といたら、親戚付き合いも出来ないんだと悲しくなりましたねぇ。。。
世間には通用しない、自分だけの常識をきっちり持っていて
これには全く閉口しました。

とにかく、良い時と悪い時の差が極端で、子供みたいでしたね。
本当に、この人がこんなこと?みたいな事が度々あって、いつも側で見ていた姉夫婦も
驚きの連続の様でした。


  一生この人と?
「無理」の一言。
きっかけは、もう10年も前の事なのでハッキリ覚えていません。
家庭内別居したり、実家に帰ったり何度か出たり戻ったりしましたが
結局は、彼が不在の間に夜逃げの様に出てしまいました。
でも、この時は絶対の決意でアパートも借りて仕事も探し
一人で生活を始めました。

出てくる前の離婚話には一切応じてくれることも無く
話し合いに家へ一人で帰るのは、恐怖さえ感じ
妹に付いて行ってもらったりしていました。
応じてくれない一番の理由は聞いた訳ではないのでハッキリ分かりませんが、
まずは世間体だと思います。
私の両親と話をした際に、母が感じたと言います。
「あの人は、私達(両親)にとって良いと思われようという事ばかり言ってる。
あなたに対しての愛情は一つも感じなかった。あなたを大事に思っていると
一言いえば私も納得したけど、一回もそういうことは言わなかったわ」と。

そうなんです。誰にでも良い人と思って欲しいというのか。
どんな悪党でも、自分にとって良いと思える人、着いて行きたいと思える人でないと
駄目だと思うんです。母に「私にとって良いと思える人じゃなきゃ仕方ないんだよ!」
と言ったことが、とても印象に残っている様です。

私も前述した様に、性格がとにかくきつかったので彼がずいぶん傷付く事も言いました。
「別れてくれないんなら死んで」とまで言いました(汗)
「慰謝料なんて欲しくないから別れてよ=3」と言ったら、「払うのはおまえだっ=3」ですって。

そうこうして、もめてもめてとにかくもう疲れきっちゃって、連絡を止めてしまいました。
それから2年近く、音信不通にしました。今みたいに携帯電話なんて無いし
私が実家に居ないとなれば、連絡の取りようもないので。
一緒に住んでいないという事だけで良かった筈なのに、やっぱり姓は彼の姓のままで
とっても嫌でした。うじうじ、うじうじ何時も考えていて、心が晴れる日は無かったです。
ストレスから来るものだと思いますが、まぶた以外の顔中ニキビ?吹き出物だらけになり
イボ蛙のようになってしまい、死にたいとすら思いました。
買い物依存症だろう症状になったのもその頃です。
今思い返せば、あれ鬱だったんだと思います。
SOSを発信していたのか、父親がそれに気がついたようで、
母に「アイツ、あのままでは精神がやられるぞ。○○に手紙書け」と言ったそうです。
それから間もなく、離婚届が郵送されてきて晴れて?独身に戻ったのです。
当時専業主婦で、実家の側に住んでいた姉から「○○から手紙が来てるけど空けて良い?」
と仕事場に電話があり、その場で空けてもらって、「万歳!」でした。
電話を切るなり、「明日の午前中休みをください」と言って、翌朝離婚届を提出しました。
何時も暗い顔をして、ボソボソと話していた私を見ていた社員が
「どうしたの?やっけに明るい顔してどうしたの?」って言われたほど。

これが私の離婚物語りです。
数年して、彼とはとても良い友達に戻り仲良くしていましたが
ひょんな事から大喧嘩をして以来、また音信不通になりました。これが運命ですかね。

「離婚」って、世間でもよく聞く言葉ですが「結婚の何倍もパワーがいる」って。
これ、本当です。
私のように、相手を憎んで別れたとしても、精神的にかなりダメージがきます。
今まで築き上げた物が全て失われます。共通だった友達も失うこともあります。
辛い辛い出来事でした。
離婚の理由は人それぞれ、いろんな理由があると思います。
でも、何かよい方向に進める糸口があるのなら、出来る限り別れない方が
良いのではないかなぁと思っています。
もう一度考えてみてくださいね。



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